楠木正成

楠木正成は河内国石川郡赤坂村(現在の大阪府南河内郡千早赤阪村)の出生とされますが諸説あります。

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将で、足利尊氏らと共に活躍した後醍醐天皇の建武の新政の立役者でもあります。

足利尊氏の離反後も後醍醐天皇のもと南朝方に残ります。

一旦京より去った尊氏が軍勢を整えて挙兵。

後醍醐天皇に尊氏と和睦するよう進言するも聞き届けられず、京都から朝廷を一旦退き足利軍を京都で迎え撃つという策も受け入れられず、絶望的な状況の中、命じられるまま湊川で足利軍と戦うことになります。(湊川の戦い)

これに敗れ自害したと言うことです。

後年、明治時代になって、戦死を覚悟で大義の為に戦場に赴くといった姿が「日本人の鑑」として称えられました。

戦時中、菊水作戦と称して特攻隊を編成したのは有名な話です。(菊水は楠木正成の家紋)

祭神名: 
楠木正成
かな: 
くすのきまさしげ
子: 
祭神とする神社: