由緒:
祭神を高皇産靈神する式内社五社の一になります。対馬国下縣郡の高御魂神社もその一つです。『延喜式神名帳』には、山城国の筆頭として記されています。
雄略天皇二十一年(477年)創建とあります。
創建には、賀茂氏、秦氏、橿部がこの地域に居住していまして、祭ったのは彼らではないかと言われています。
泊橿部は、『姓氏録』左京神別に、天足彦国押人命孫比古意祁豆命があり、後にまた山城国神別(鴨懸主同祖、鴨建津身命之後、西泥土部は鴨懸主同祖、鴨建玉依彦命之後、丈部首は武内宿禰男紀角宿禰之後)と出ています。
丈部は歴代宮廷の警護に係りがあった職業、つまり「武士」です。
有力な地位を持つ各氏族に所属していたようです。当地の丈部も淀川の水運に係わった関係性があったとみて間違えないようです。
春日臣、小野臣の祖に孝昭天皇の御子、天足彦国押人命があたります。