由緒:
太古より生駒山系は磐座(岩座)信仰が盛んであり、この中にあって当宮は現在残る数少ない磐座(岩座)信仰の霊場です。
当社の創建年代は平安時代にさかのぼり、嵯峨天皇の弘仁年間(810~823)に、弘法大師が交野へこられた際、獅子窟寺吉祥院(大阪府交野市私市2387)の獅子の窟に入り、佛眼仏母尊の秘法を唱えられると、天上より七曜の星(北斗七星)が降り、それが三ヶ所に分かれて地上に落ちたと言う伝承があり、これより「三光清岩正岩の妙見」として、祀られるようになったといいます。
※弘仁7年(816)に隕石の落下記録があり、これはわが国で二番目に古い記録とされており、星の降臨によって山の大部分が吹き飛ばされ、馬蹄型に削れた形になったと言うことです。
現在もこの伝説は当地に残っており、星が地上に落ちた場所として、一つは星田傍示川沿いの高岡山東の星の森、もう一つが星田字乾にある降星山光林寺境内、そして今一つがこの星田妙見宮であり、小松神社の御神体であると言われています。
もともと平安時代には「神禅寺」と称されており、河内長野の天野山金剛寺の古文書には、「嘉承元年(1106年)9月23日 星田神禅寺」との記載があります。
天文四年(1535年)の神明帳には、小松大明神と記されています。
明治39年11月に星田神社境外社となりました。
当社の正式名称は小松神社といいますが、通称は星田妙見宮・妙見さんと呼ばれて親しまれています。
<b>■境内社</b>
【鎮宅社】太上神仙鎮宅霊符尊神
【三宝荒神社】三宝荒神
【豊臣稲荷社】保食大神
【竜神社】金色龍王
【下社稲荷社】倉稲魂大神
【祖霊社】歴代宮司 社守の御霊