由緒:
新潟市は他の地域と例外なく、鳥羽・伏見の戦いから始まり、全国各地に広がって行った戊辰戦争の戦場となり、多くの戦死者の尊い命が失われました。
そのため明治維新の折、1868年(明治元年)10月29日、新政府軍(西軍)側戦死者の墓碑を常磐ケ岡に設置し、社殿を造立し戊辰戦争の戦没者415柱の英霊を新潟招魂社に祀ったのが始まりです。
明治8年には新潟招魂社となり、明治34年に官祭社・新潟招魂社となったのち、昭和14年に新潟縣護國神社となりました。
そして昭和16年の7月内務大臣の許可を得て、現在地である西船見町に当社を創建することが決定し、移転して今に至ります。
当社は日本海沿いに広がっており、付近の海岸は護国神社周辺の海岸として、日本の白砂青松100選に選ばれている他、近くには水族館や観光地、学校などが密集しています。
また、松林に囲まれた壮大な社となっており、鳥居の奥は100m近くもの参道が続くため、大晦日から元旦にかけては多くの参拝客で賑わいます。
家内安全・安産祈願・厄除け・厄祓い・交通安全・八方除そして方位除の御利益があり、今も昔も多くの人に親しまれています。