由緒:
当社の創建年代は不詳です。
五百住神社と言う名称ですが、日本書紀には安閑天皇元年(534年)に三嶋県主飯粒(みしまあがたぬし いいぼ)が40町からなる良田を天皇に献上し、その田を耕すために春秋に それぞれ5500人の農民を遣わすこととなった、という記載があり、そうしたことから神社名の由来になったのではないかと考えられています。
ただし、境内には天児屋根命を祀る春日神社、素戔男尊を祀る八坂神社の2つの神社があり、地元では一般的にそれぞれの神社名で呼ばれています。
秋から初冬に当社の敷地一帯は団栗等の木の実で敷き詰められ、鳥の囀りが絶え間ないほどです。