由緒:
創建の年月は詳らかではないが、室町時代には既にあったとされている。住吉四神を祀る以前に交野大明神を祀る社が存在していた。 その後宝永年間(1704~1711年)に磐船神社の分霊をまつることになった。
当神社の創建の年月は詳らかではありませんが、当地に一本の大杉があって、そこに交野物部の御祖である櫛玉饒速日命(交野大明神)を氏神様としてお祀りしていました。
その後、宝永年間(1704~1711年)に総社である磐船神社の御分霊を当地にお遷ししてお祀りするようになり、新たに神殿が建てられたのが現在の本殿です。
それ以後、交野大明神が祀られている交野社は古宮と呼ばれるようになり、また大杉も枯死したので、その芯を御神体として、お祀りするようになりました。
また八幡社はもと新宮山の頂上にお祀りされていたのですが、明治維新の神仏分合整理により、明治7年9月に当地に遷座されたものであり、昔は山城の石清水八幡宮を本宮、こちらを新宮と呼ばれていました。平安時代、この辺りは石清水八幡宮の寺領荘園となり、この地域の守護神として八幡宮の御分霊を新宮山に勧請したのに始まります。
明治5年には村社に列せられました。
当社に隣接してもと神宮寺であった星田寺があります。星田寺はそうした経緯で現在でも宮寺と呼ばれています。