由緒:
式内大社乙訓坐火雷神社の論社。向日神社には火雷神が併祭されています。
賀茂建角身命の子神である水辺の女神玉依姫と丹塗矢との神婚によって、上鴨神社の祭神賀茂別雷神が生誕した伝承を記載し、丹塗矢が乙訓坐火雷神であるとしています(『山城国風土記』)より。
火雷神が初めて国史に記されるのは大宝二年(702年)です。乙訓郡火雷神に旱魃の度に祈雨をしているとあるそうです。
江戸時代、角宮神社が乙訓坐火雷神社と考えられていました。
社伝には「継体天皇六年勅して乙訓社を建営し給ひ、火雷神を鎮め給ふ。延暦四年、桓武天皇勅して玉依姫命、建角身命、活目入彦五十狹茅尊の三神を火雷神と共に鎮め給ひ、天皇行幸し給ひ、角宮乙訓大明神と仰ぎ給ふ。」とあります。