由緒:
当社の創建等は不明です。
境内摂社には阿智神社があり、病の神様(阿智神)をお祀りしています。その昔病が流行った時に訪れた僧侶の進言で散らばった阿弥陀様を一か所にあつめたことに起因すると枚方風土記に記載があります。
またここは昔片鉾村と言い、長岡京遷都の翌年、延暦4年(785)11月に桓武天皇が当地に郊祀壇を設け、遷都の大事業をなしえたことに対する感謝の祈祷を行ったという伝承があります。
神殿上部に以下、神拝略詞の額が掲げられています。
「此乃杉賀本乃御社尓鎮座坐須掛巻毛畏古伎産土八幡大神乃御前尓乞祈臼佐久己我家尓毛未尓毛諸乃禍事元久守恵美給閉止畏美畏美毛臼須(これすぎもとのみはしらにしずまりましますかけまくもかしこきうぶすなやはたおほかみのおんまへにこいいのりまうさくおのがいへにもみいももろもろのまかごとなくまもりめぐみたまへとかしこみかしこみもうす)」