由緒:
当社の創建年代は不詳ですが、清和天皇の皇子である惟喬親王(844~897)が交野ケ原で遊猟した際に、愛鷹の姿が見えなくなったので、日没を惜しんで、『日を止め置かせ給え』と天神に祈願したという伝承があり、日置天神社(へきあまつかみのみや)と称することになったと言います。
中世においては、この付近一帯は東高野街道筋に発達した集落(日置郷)として賑わい、社寺が甍をきそっていたと言いますが、南北朝期の動乱に戦禍に見舞われたことから、十四世紀中頃には灰燼に帰したと伝えられています。
その後十六世紀中頃、真宗八世蓮如の六男・蓮淳によって招提寺内村として再開発したおり、当社を寺内鎮守として再建したと伝えられています。
御祭神は天御中主神で、貞享年間に菅原道真を合祀。
明治5年、村社に列せられ、同年8月、神饌幣帛料供進社に指定されました。