由緒:
このあたりは古くからの荘園で、鞆呂岐荘といいました。
鞆呂岐神社はこの付近の氏神として、昔から崇敬されていました。
明治初年に神社合併が奨励されたときにも、多くの村々が神社合併を行う中で、木屋村は財産をつくり一村でもって神社を維持してきたと言います。
この神社は六社大明神と称して六神をお祀りしています。
もともとは天照大神・春日大神・住吉大神・恵比須大神・稲荷大神・蔵王権現をお祀りしていたといいます。
その後、稲荷大神を末社として分離したので、代わりに神功皇后をお祀りしたそうです。また、明治の初めに神仏が分離されたとき、蔵王権現は仏教的であるというので、代わりに豊受大神をお祀りしたということです。
奥の宮といって境内奥に若宮八幡の社があります。八幡さんということから祭神は応仁天皇ということです。
※神職さんが常駐されていない神社ですが、古くから管理されておられる氏子さんが祀りごとを取り仕切っておられ、氏子さんは奥の宮に関してはみなさん竜神様と言っておられます。
境内社として、本殿左側には稲荷神社が鎮座しています。