由緒:
二荒山神社は大変歴史が古く、第10代崇神天皇の頃まで遡る事ができますが、何度も火災にあい、
近年に入ってからも4度に渡る大火にあって古い史料がほぼ消失してしまいました。。
現在残っている社記には、約1600年前の第16代仁徳天皇の頃に毛野國(栃木県・群馬県)が上下の二国に別けられ、
御祭神豊城入彦命の4世孫奈良別王(ならわけのきみ)が下毛野國の国造に任じられた際、
祖神である豊城入彦命を荒尾崎(下之宮)に祭神として祀ったのが始まりとされています。
その後承和5年(838)に現在の地臼ヶ峰に遷されたと伝えられています。
お祀りしている豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は、第十代崇神天皇の第一皇子で
郷土の祖神、総氏神様としてでなく武徳にも優れていたため武将からも篤い信仰を受けており、
源頼朝公、徳川家康公など当社に戦勝祈願し神領・宝物の寄進や社殿改築をされております。
また『平家物語』によりますと、屋島の戦いで那須与一は平家船上の扇の的を射る際に
「日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神」と祈ったといわれており、
また平将門の乱では藤原秀郷公がこの神社で授かった霊剣によって将門を討った言われております。
延長5年(927)に政治のよりどころとして完成した延喜式・神名帳には東山道街道筋として
「下野國河内郡一座 大 二荒山神社 名神大」と記載されており、栃木県内の名神大社は当社のみでした。
代々城主が社務職を兼ね「宇都宮大明神」と称し、郷土の祖神・総氏神さまとして篤い信仰を受け
下野國一之宮といわれておりました。
「二荒山神社」を名称とする神社は関東地方を中心に多数存在しますが、
中でも当社と日光の二荒山神社の2社が古社として現在は知られております。