由緒:
清和源氏武士団発祥の地である当地は970年(天禄元年)、源満仲によって天台宗寺院として建立されました。
鎌倉時代には幕府から造営の督励を受け、僧忍性による再建が行われ、以降真言律宗に転じて明治時代多田院と称した寺院以前まではでした。
後の神仏分離の折神社となり、南大門にあった金剛力士像は満願寺に移されました。
当社は清和源氏の霊廟として一の宮に源満仲、二の宮に源頼光、三の宮に源頼信、四の宮に源頼義、五の宮に源義家をお祀りしています。
そのため、源氏の流れを汲んでいる足利氏・源氏を称した徳川氏も当社を源氏霊廟と認めており、当社に歴代将軍の遺骨を分骨しています。
御家人由来伝記によると1577年(天正5年)、有岡城の戦いにて津田信澄の手による焼失があり、長く荒廃していましたが、
1655年(寛文5年)になって徳川家綱が再建し、1695年(元禄8年)に社殿の修復を行い今があります。
源家発祥の地のため神域一帯(1万6千坪)が昭和36年6月、国の史跡に指定去れているほか、
亦入母屋造りの本殿・拝殿と切妻造りの隨神門が国の重要文化財として、
また、南大門・東西の高麗門・六所宮・厳島神社等は兵庫県の重要文化財として指定されています。