由緒:
大阿波さんのさんの通称で親しまれている当社は阿波国一宮・天石門別八倉比売神社のうちの論社の一つになります。
新四国曼荼羅霊場ともなっており、巡拝に来る人も多いです。
祭神として祀っているのは大宜都比売命で、社殿によるとこの大宜都比売命は伊勢国丹生の郷……
現在の三重県多気郡多気町丹生から当社が鎮座する阿波国に神馬に跨りやってき多とされています。
八柱の供神と共にやってきた大宜都比売命は国土を経営して行き、
後に栗をあたりいっぱいに蒔いて広めていったとも言われています。
当社は延喜式神名帳にある名神大社、阿波國名方郡、天石門別八倉比賣神社の論社の一つであり、
その歴史は古事記にまで遡ります。
大宜都比売命が粟国を開いたのち、728年(神亀5年)には聖武天皇の勅願所となり、
1185年(元暦2年)には正一位の神階を授けられました。
また、平安時代には当社の分祠として一宮神社が創建されたとされています。
当社は江戸時代から一宮明神、田ノ口大明神、大粟上一宮大明神、
それから上一宮大明神などと社名が幾度となく変わってきましたが、
近年だと1870年(明治3年)に埴生女屋神社に改められ、
その後の1895年(明治28年)に氏子の請願をきっかけに今の社名に落ち着いた経歴を持っています。