由緒:
当社は崇峻天皇2年7月、聖徳太子が父である用明天皇崩御の後に、太子自ら尊像を彫刻して、宮殿を造営されたのが始まりとします。
用命天皇を主祭神とする日本唯一の神社であるといわれています。
もともと難波の森と言いましたが、推古天皇の御代に、難波の吉士盤金という人が新羅国より帰って鵲を献上したのをこの森で飼うようになり、鵲の森と称え、社名となりました。
創建当時は広大な神領を誇ったといいます。
応永年間の頃までは生駒山麓まで氏地であったと伝えられています。
天正年間の頃より寛永年間に至り、市議野村、中浜村、玉造村の一部と森林が氏地となり、現在は森の宮一円の氏神として崇敬されています。
なお、当社は四天王寺との関係が深く、御祈願により、聖徳太子自ら四天王の像を刻み大伽藍を当社付近の玉造の岸に建立されたのが最初の四天王寺ということです。
後に浸水を憂い四天王寺を現在地に移したときに、諸堂の御鑑はそのまま当社に残したといいます。