由緒:
古くは木坂八幡宮と称されていた当社ですが、対馬国の上県郡に位置するがゆえに、下県郡にある下津八幡宮(厳原八幡宮)と並んで上津八幡宮と中世以降は称されていました。
一番最初の名称である木坂八幡宮の木坂というのは、新羅を鎮めた証として三韓討伐から帰ってきた神功皇后が上県郡峰町に旗八流を納め、それが今の木坂山……つまりは伊豆山に移されたのが由来と社伝に残っています。
また、その頃、日本を攻めてきた異国の軍艦を木坂山に起こった奇雲烈風が沈めたという伝承も残っています。
以前は八幡神を祀っていましたが、1870年(明治3年)に和多都美神社に改称し、更にその翌年、国幣中社に列格し、その際祭神を八幡神から豊玉姫命に改めました。
同じくその同年に社名を和多都美神社から現在の海神神社に改めています。
伊豆山の伊豆には稜威・厳の意味がある、神聖な山とされることから穢れを忌む意識が強いところがあります。
その他、当社には国指定の重要文化財である銅造如来立像が存在していましたが、2012年に盗難にあってしまい、現在もまだ返還には至っていません。