由緒:
創建時期は不明ですが、社伝によれば、欽明天皇16年(555年?)2月18日、
現在地より6kmほど離れた本宮山に神霊が示現したので、勅命によりそこに社殿が造営されたことにはじまります。
なお、このときに正一位の神階が授けられたと社伝にはあるが、
国史での当社の初見である『続日本後紀』承和7年(840年)6月14日条では
「遠江国周智郡の無位の小国天神(中略)に従五位下を授け奉る」と記されています。
六国史終了時の神階は従四位上でありました。
『延喜式神名帳』では小社に列しております。
皇族や武将の信仰が篤く、遠江国一宮として崇敬を受けました。
当社を一宮として記載する史料の最初は、1235年の「当国鎮守小国一宮」という記述であります。
江戸時代には「一宮神社」と称していました。
中世以降、朝廷の衰退により勅使が廃れたが、室町時代、戦国時代を通じて祭祀が途断えることはありませんでした。
元亀3年(1572年)、甲斐の武田信玄が遠江に侵攻した際、当社神職は徳川家康に味方いたしました。
それが縁か、天正3年(1575年)、徳川家康が社殿を再建し、江戸時代に入ってからも歴代の将軍が社殿の造営や営繕、社領の寄進を行っておりました。
明治5年(1873年)に県社に列格し、翌明治6年(1874年)には国幣小社に昇格致しました。