由緒:
吉備の中山を背後に背負い北東麓に東面で鎮座しているのが当社です。
吉備の中山は巨大な天津磐座という神を祀る石を有しており、それも相まって山そのものが神体山(霊峰)とされ、信仰されています。
この吉備の中山の当社の北西麓には吉備津神社が鎮座しており、どちらも大吉備津彦命を主祭神として祀っています。
しかし祭神は主祭神である大吉備津彦命だけでなく、大吉備津彦命を含めて全部で12柱おり、古来より武将・庶民問わずどの祭神も厚い崇敬を受けてきました。
その崇敬は今も変わりませんが、それ以外で一つ、昔と違うことと言えば、近頃は夏至の日の出が正面鳥居の真正面から昇り、それが神殿の御鏡に入ることから「朝日の宮」という名前でも知られていることでしょうか。
また誰しもが知っているであろう童話「桃太郎」の伝説も、当社が主祭神として祀っている大吉備津彦命が発祥となっています。
かつて大吉備津彦命は大和朝廷から派遣され、温羅…童話で例えるなら鬼といった扱いになるのですが、この温羅との戦いが童話桃太郎として伝承に残ったというわけです。
今では鬼とされていた温羅も製鉄などの技術文化を伝えた功労者として人気を博しています。
その他、岡山藩主・池田綱政が奉納した太刀が大正元年国指定の重要文化財に、本殿が昭和43年、御田植祭の様子を記した紙本淡彩神事絵巻昭和34年、岡山県指定文化財になりました。