由緒:
当社は天孫降臨で有名な天津日高彦火邇邇杵尊(ニニギノミコト)と、その父である正哉吾勝々速日天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)、そしてアメノオシホミミの母である天照皇大御神(アマテラス)が祀られています。
江戸時代までは応神天皇に神功皇后、そして武内宿禰の八幡三神を祀っており、そのことから新田八幡宮、一宮八幡、八幡新田宮、川内八幡宮、新田明神と呼ばれることもあります。
創建は不詳とされていますが、その始まりはニニギノミコトを祀ったことと言われ、稲穂の神とも言われるニニギノミコトにちなんで当社では毎年6月ごろに神田の田植えの行事が行われるのが通例で、地域のお祀りとしても定着しています。
隣接している神代三山陵の内の一つである可愛山陵は1874年(明治7年)、明治天皇の裁可によって邇邇芸尊陵の指定を受けました。
そのことから宮内庁直轄で管理されており、陵墓と神社が一体していることでも全国的珍しい形態をしています。
大正時代から数えて9回にもわたって天皇の参拝を受けており、薩摩国一の宮の風格を今も依然として保っています。