由緒:
オカイモンサンの通称で親しまれる当社は大日孁貴命(アマテラスオオミカミ)を主祭神に、アマテラスオオミカミとスサノオノミコトの誓約によって生まれた五男三女神を配神として祀っています。
ただ、明治時代以降は合祀によって近隣の神社の祭神も祀っているので、諸説があります。
開聞岳を神体とする当社は山岳信仰に根差した神社ですが、社伝を持ってしても創始の詳しいことは不明とされています。
伝承では山幸彦が訪れた竜宮・海神豊玉彦宮地ともされ、和多都美とも称されました。
また、外海に面していることから航海神とも崇められており、江戸時代以降には琉球からも崇敬を集めるようにまで至りました。
その証に航海安全を奉謝して琉球王より献納された額面が今も保存されており、指宿市指定有形文化財に指定されています。
その他、松と梅の蒔絵が飾られた女性用の化粧道具箱である松梅蒔絵櫛笥が国指定の重要文化財に、そして本殿が鹿児島県指定有形文化財に指定されています。
鎌倉時代以降、同じく薩摩国にある新田神社と一宮の地位を激しく争う様になりましたが、現在では両社友薩摩国の一宮として扱われています。