由緒:
神社の創建は欽明天皇二十五年頃と伝えられています。
山頂社殿が噴火焼失と再建を繰り返しており、創建には諸説ございます。
鳥海山は活火山で、噴火などの異変が起こると大物忌神の神威の表れとされ、朝廷から奉幣があり鎮祭が行われました。
一時期神仏習合の為大物忌神へ奉仕する職制は変化し、従来の唯一神道を以って奉仕する社家、
神宮寺の仏式を以って奉仕する社僧に別れましたが、中世には鳥海山大権現と称して社僧が奉仕をしていたのだといわれています。
これが後の明治の神仏分離によって、大物忌神社に復すまで続くことになります。
延長5年(927年)には『延喜式神名帳』により式内社、名神大社とされ、国家から特別の扱いを受けておりました。
そして当神社は出羽国一宮とされました。
本社は山頂に鎮座し、麓に「口の宮」と呼ばれる里宮が吹浦と蕨岡の二ヶ所に鎮座いたします。
昭和30年(1955年)社名を三社併せた総称として「鳥海山大物忌神社」へ改称し、
現在は神社本庁が包括する別表神社となっております。