由緒:
当社の主祭神は伊弉諾尊、伊弉冉尊、大毘古命、建沼河別命の4柱を祀っており、このうちの後者2柱は伝説上の4人の将軍である四道将軍の内の二人です。
四道将軍である大毘古命と建沼河別命はそれぞれ北陸道と東海道へと国土平定のために派遣され、のちに会津で行き会ったことから、現在当社が鎮座する会津という地名が生まれたとされています。
元々はこの大毘古命と建沼河別命が伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀ったのが始まりとされ、今の様に4柱を主祭神とするようになったのは戦後からになります。
現在では全国一の宮会によって岩代国一宮に認定されていますが、中世では陸奥国の二宮の地位にあったとされています。
また、残っている文献によると1503年(文亀3年)の火災をはじめとして現在までに約7回ほど火災や兵火で焼失が起こっており、その都度再建や改修、造営などが行われてきました。
ちなみに一番新しい焼失は2008年(平成20年)で、拝殿と授与所が焼失、本殿と神楽殿と神饌所が全焼してしまったため、現在も再建中となっています。