由緒:
当社が始めて文献に登場するのは、延喜式年間に全国の神社を調査した時で、その時確認された神社を延喜式内社と呼び、
当社もその一社に数えられています。
京都の住人、初代福田安芸守源有光は永承六年(1052年) 、奥州の豪族安倍氏追討に加わり、
その功により奥州仙道のこの地を賜りました。
康平六年(1063年)に源有光はこの地に移り住み、名を石川有光と改めました。
此の地は四方を山々に囲まれ、今出川が東より南へ、磐境が重なり自然の要害となっているこの当社鎮座地に三芦城を築城し、
治暦二年(1066年)源氏の氏神である京都石清水八幡宮の御分霊(大国主命・誉田別命)を当社に合祀しました。
その日が旧九月十九日で、この時よりこの日を例祭日と定め、毎年旧九月十三日から十九日までを例祭期間としております。
例祭日も時代と共に変わっていき、昭和五十年より新暦の九月十一日から十五日迄となり、
平成十五年より九月の第二土曜日に例祭式、同日夕刻より翌日夕刻迄が渡御、第二土曜日前三日間を参篭となっております。
当社は福島県石川町の通称八幡山に鎮座しており、境内及び神社森は三芦城の跡地として県及び町の史跡に指定されております。
古くより山岳信仰の場として山そのもの、また参道に点在する磐境が信仰の対象として、崇敬されております。