由緒:
当社の創建年代は不明ですが、元々白山権現と称し、仁和寺庄に観音寺(宇多天皇の皇子、敦實親王が創建)の建立と同時に、本宮の地に建てられた社であるとされています。
応永の乱の後に、この地方が男山八幡宮の社領となり、八幡宮を境内に勧請し、1633年、領主永井信濃守の支配により、天満宮となりました。
1674年6月16日に淀川の仁和寺堤防が決壊して、社殿が流され耕地が土砂で埋まってしまいました。
耕地の復旧を図り、土砂を集めた上に新たに社殿を造営し、神様をお移ししたもので、元の鎮座地は字本宮と称したといます。
明治5年、当社は村社にとなりましたが、明治44年1月14日、佐太天神社に合祀され佐太天神の御旅所となっていました。
昭和4年以降内務省に、村を挙げて神社復旧運動を起こし、太平洋戦争のさなか昭和18年7月26日付けで認められ、その翌月の8月25日、盛大な還幸祭を執り行い、再興されました。