由緒:
秩父地方の総鎮守である当社は秩父夜祭で有名な知知夫国一宮です。
全国的にも有名な秩父夜祭は毎年20万人以上の人が訪れ、重要無形民俗文化財に認定されているほどです。
また、日本三大曳山祭・日本三大美祭として京都の祇園祭や飛騨の高山祭に数えられており、地元の住人ばかりでなく観光客も数多く足を運びます。
冬まつり、妙見まち、お蚕まつり、妙見さんの大市と様々な通称で親しまれているこのお祭りは、元々は妙見信仰を由来としたものですが、武甲山の男神と秩父神社の女神の一年に一度限りの逢瀬の物語が語られることもあり、この土地の風土が育んできた一つのロマンだと言えるでしょう。
当社の始まりは初代知知夫国造、知知夫彦命が八意思兼命を祀ったのが始まりとされ、中世では妙見信仰と習合し、その際には八意思兼命と知知夫彦命の他に天之御中主神と秩父宮雍仁親王ではなく妙見菩薩を祀っていました。
それ故に妙見宮として栄えていたので、本来の名称よりも秩父大宮妙見宮の方が有名になったほどです。
しかしそれも明治時代の神仏分離までの話で、それ以降は妙見菩薩が改められ、現在の4柱が祭神に祀られています。