由緒:
380年(仁徳天皇68年)この地方は大地震に襲われました。
そんな大地震に苦しむ人々を見かねて、仁徳天皇は国土安穏を祈り、應神天皇(応神天皇)の御神霊をお祀りしたの創祀と伝えられています。
また、592年~628年(推古天皇時代)にも大地震が起こり、推古天皇は「鎮地大神」の親筆を捧げ、て国家安穏を祈ると共に社殿を造営しました、
さらには天武天皇がこの地の税を寄進し、文武天皇は宝剣「天晴彦」を奉納しました。
大政奉還の後、社名を「八幡神社」と改称しましたが、1978年(昭和53年)には現在の社名、旧称である「平塚八幡宮」へ改称されました。
また、長い歴史を持つ当社ですが、関東大震災の折、甚大な被害に見舞われ御社殿も崩壊してしまいました。しかし、崇敬者の尽力のもと、1928年(昭和3年)には街の再建にあわせて、当社も再建されました。
当社は信仰や歴史、そして文化の交わる場所として、また、憩いの場やパワースポットとしても知られており、今も多くの人が訪れます。
5月には1000年もの歴史を持つ國府祭、夏には全国に名高い七夕まつり、9月中旬にはぼんぼり祭が開かれるなど、日々様々な祭事が行われているのも見どころです。