由緒:
埼玉県の元荒川流域中心には、当社の他、七社の久伊豆神社が分布、鎮座しています。
当社の創建は平安時代中期で、各久伊豆神社の分布は平安時代末期の武士団・武蔵七党の、野与党、私市党の勢力範囲とほぼほぼ一致しているといわれています。
そんな中で、当社は越谷の総鎮守とされ、宮内庁越谷鴨場と共に、市の環境保全地域に指定されています。
当社の神紋は立葵で、これは江戸時代、徳川将軍が鷹狩の際に参拝され、葵紋の使用を許可したことからと伝わっています。
本殿の裏手には南洋神社を偲ぶ旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿が建立されており、これは当社の本宗・伊勢神宮が南洋における分社であったことや、土屋義彦埼玉県知事が遺骨収集団団長としてパラオと交流が深かったことから建立が決まりました。
竣工奉祝祭にはパラオの大統領、トミー・レメンゲサウも出席しました。
当社の読みは「ひさいず」ですが、「くいず」とも読めることから「クイズ神社」と呼ばれることもあり、クイズ番組の会場として選ばれたこともあるほどです。
そのことからクイズに関連する神社としての知名度も高まり、近頃ではクイズ番組の優勝祈願に訪れる人も増えています。
また、方災除け、八方除けの御利益があることでも有名で、関東を中心に、全国各地に崇敬者が広がっています。