由緒:
古くからあった洪水により社殿などがことごとく流失したため、創建の由緒は不詳であります。
延長5年に『延喜式神名帳』により式内社、小社へ列格されました。
昔の社地は現在よりも東にあり、文明2年羽茂川の洪水により社殿・古文書等流失したので、同 4年に再建立したのだといわれております。
旧社地については、かつて海岸寄りに鎮座していたのが、後に現在地に遷座したという説や、現社地より川下の別当屋敷の地名が残るあたりとの説がありますが、はっきりとはわかっておりません。
『飯岡村八幡宮證文之寫』の記述から寛永18年には当社が八幡宮に合祀されている様子が分かり、
この頃までは八幡宮と度津神社が混在して明確に分かれておりませんでした。
明治4年(1871年)5月14日には国幣小社に列せられましたが、第2次世界大戦の終戦に伴い旧社格は廃止され、
その後当社は神社本庁が包括する別表神社となっております。佐渡国一宮。