由緒:
富士山を神体山として祀る神社で、古来富士信仰の中心地として知られています。
大同元年(806年)建立で東海地方では最古の社であります。
境内は、大きく富士山南麓(富士宮市街地)に位置する本宮と、富士山頂上に位置する奥宮の2つがあります。
境内は広大であり、本宮で約17,000㎡のほか、富士山の8合目以上の約385万㎡が浅間大社の境内であります。
本宮の本殿は徳川家康による造営。
浅間造という独特の神社建築様式で、国の重要文化財に指定されています。
また、本宮境内には富士山の湧水が湧き出している湧玉池があり、国の特別天然記念物に指定されております。
『富嶽之記』(1733年)では、浅間大社の様子を
「是冨士山根本の浅間也、木花開耶姫を祭る、神主大宮司といふ、社僧二十院あり、
境内桜多シ、神の愛木也、社ノ東に垢離場有り」と記しております。
このように木花之佐久夜毘売命を祭神とし、富士氏が当神社の大宮司を務めていました。
社僧や垢離場などが存在し、神仏習合の形態がありました。
祭神の木花之佐久夜毘売命にちなんで桜を御神木とし、境内には約500本もの桜樹が奉納されています。
また社内には木花之佐久夜毘売命を「かぐや姫」とする竹取物語とよく似た話がその縁起として伝わっています。
浅間大社は大宮・村山口登山道の起点に位置するため、富士参詣を対象とした道者坊が存在し、浅間大社の社人たちが富士登山の道者に宿舎を提供しました。これを大宮道者坊といいます。