由緒:
御祭神に豊受大神を祀る稲荷神社は浦安市当代島3-11-1に鎮座しており、1689年に(武蔵國小岩村現東京都江戸川区小岩町)の善養寺から移し祀ったものであるといわれてます。
神社の記録によると少なくとも大正時代には相殿の神さまとして応神天皇と春日大神をお祀りする神社であったといいます。
それ以前には当代島では元村長の高梨氏所有の屋敷神の稲荷さまを氏神としていました。
稲荷神社は明治5年の神社法によって正式な当代島の鎮守とされ、無格社に規定されます。
その後、1871年4月に改築がされ、1908年日本殿と拝殿が再建されました。
しかしながら戦時中米軍機の爆撃によって破損したため、1959年1月に再建されました。
その後さまざまな理由により1983年に大規模な地盛り等の境内整備が行われることとなり、社殿の立替もされたのが1984年のことでありました。
また、一説には稲荷神社の祀祭神は稲蒼魂命だといわれ、元の御名を宇加之御魂神といいます。
この神は字を倉稲、すなわち一切の食物を司るとされ、豊宇気毘売神と同一神だといわれています。
さらには豊受大神と称されて外宮の豊受大神宮にも祀られ、五穀最成・飲成五社大明神の筆頭の神で、大己貴命・大田命・大宮姫命・保食命の五柱を総じて五穀の神として穀物豊穣の神として信仰されました。
そのほか、稲荷神社は古くから疱瘡に霊験があるというので、嘉永年間には境内の小石を持ち帰るものも多く、市もできたほどであったと伝えられています。