由緒:
創建は神武天皇18年と伝えられています。
『常陸国風土記』によると、神代の時代に肥後国造の一族だった多氏が上総国に上陸し、開拓をしつつ常陸国に勢力を伸ばし、
この際に出雲国の拓殖氏族によって農耕神として祀られたものが、香取神宮の起源とされております。
しかし、創建年が古すぎるとの異論も存在します。。
大化5年(645年)には、香取神郡が設けられたが、当時神郡(神領)を持ったのは伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の三社のみでありました。
平安時代中期の『延喜式神名帳』には「下総国香取郡 香取神宮」と記載され名神大社に列しました。
同帳によると、当時「神宮」の称号で呼ばれたのは、神郡同様に伊勢・鹿島・香取の三社のみでありました。
中世においては、香取海での「浦・海夫・関」の支配権を握ることになります。
中臣氏が常総地方の出身であったため、中臣氏出身の藤原氏にも篤く信仰されました。
経津主神は武甕槌神とともに春日大社に勧請され、藤原氏の氏神の1柱として祀られております。
神職首座は大宮司、大禰宜といいます。
経津主神の兄(子とも伝えられる)の天苗加命(あめのなえます)の子孫が香取連を名乗り首座となったが、後世大中臣氏が養子に入り相互に重職を世襲いたしました。
明治4年、近代社格制度において官幣大社に列しました。