由緒:
当社は、かつて九州太宰府天満宮に対する東の宰府として東宰府天満宮・亀戸宰府天満宮と称されていました。
昭和6年になると東京府社となり亀戸神社と号し、昭和11年には現在の亀戸天神社となりました。
菅原道真の末裔だった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐が天神信仰を広めるため、社殿建立の志を持って諸国をめぐり、江戸の本所亀戸村に辿り着いた際、元からあった天神の小祠に飛梅で彫った天神像を奉祀したのが当社の始まりとされています。
当時、明暦の大火による被害の復興開発事業の土地として徳川幕府が当地を定め、天神様を篤く信仰していた四代将軍家綱公は、鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進しました。
そして太宰天満宮に倣い、地形・社殿・楼門・回廊・心字池・太鼓橋などが造営されました。
様々な祭事が行われている当社ですが、中でも梅まつり・藤まつり・菊まつりは有名で、特に藤まつりは東京一の藤の名所として、多くの人が訪れます。
また、この藤は江戸時代に植えられ、江戸の名所として五代将軍綱吉公や、八代吉宗公が訪れたという記録が残っているほか、多くの浮世絵の題材になるなど、由緒ある藤としても知られています。