由緒:
成務天皇14年、あるいは欽明天皇25年に創祀されたと伝えられており、以後幾度かの火災にあいました。
しかしその度に朝廷や国司、守護赤松氏や近隣の藩士の力を得て再建され、今に至ります。
主祭神である大己貴神は国土の開発から医薬、治療を教えたとされ、世界平和を取り給う神です。
故に当社では昔から農業や商業と言った商業関係や、厄払い、病気平癒の神として崇拝されてきました。
当社には564年(欽明天皇25年)、大己貴神から豪族である伊和恒郷に「我を祀れ」という信託があり、一夜にして木々が生い茂り、白鶴が石の上で二羽、北向きに眠っていたと言われています。
それ故に社殿は北向きに造営され、今でもその伝承は鶴石と言われ残っており、本殿裏に祀れています。