由緒:
『延喜式神明帳』に「答志郡粟島坐伊射波神社」、
また建久3年、皇太神宮年中行事に「加布良古の明神」とあるのがこの社のことで、志摩の国一の宮とされています。
創建の時期は不明ですが、1500~1600年を経たと伝えられており、お社から更に岬の先には、
もう1つの神様(領有神―うしはくがみ)が祭られ、朝日の遥拝所があって正月には初日を拝む人で賑います。
御神威は、縁結び・夫婦和合・海上安全・大漁祈願・五穀豊穣・合格祈願・病気平癒(特に女性)。
御崎の先には、別に領有神が祀られております。
玉垣内には丸白石が敷き詰められており、古くから漁民はこの白石を船霊として船中に安置し、豊漁を祈る習慣がありました。
船守りとして白石を持ち帰った際は、必ず2倍3倍にして社地へ返さねばならないとされています。
『志陽略誌』によると、戦国時代に社地を失ったとされ、また、安政元年(1854年)11月の大地震と大津波、
火災によって記録が流失・焼失したと言われております。
明治の近代社格制度では無格社とされましたが、昭和31年(1956年)籠堂が再建され、
昭和51年(1976年)本殿と拝殿が造営。
平成13年(2001年)神明造の本殿と拝殿を現在地に造営して遷座いたしました。
鳥羽市安楽島町の加布良古岬のほぼ中央に存在する伊射波神社。
三重交通バス「安楽島行」の終点から、徒歩約30分。
海岸に建つ鳥居をくぐると石畳の参道が続きます。
加布良古崎(かぶらこざき)にあるため、地元では”かぶらこさん”とも呼ばれております。
海に向かって鳥居が建っており、昭和初期までは海岸まで船で来て参拝しておりました。
また縁結びの御神威でも知られており、また一の宮巡拝で訪れる人も多くおられます。