由緒:
兵火洪水の難にあい神宝記録が無くなってしまったことから創建は不詳ですが、元は東生郡野出「小橋」桜の馬場字「宮田」(東成郡野田村)に氏神として奉斎したのが始まりとされます。
豊臣氏が桜を愛し、馬場に馬を進めて落花の下に勇壮なる流鏑馬式を行なったと言われています。
慶長18年冬に再建されたが、元和6年大和川の洪水により社殿流出して、中野村(今の環状線桜宮駅直下の地)に漂着、此の地に祀ったのですが、寛文6年、延宝2年の水禍にかかり、低地であったため社地に適さないということで、城代の許しを得て、現在の地に(神鳳抄によると摂津中村厨にして伊勢神宮の旧由緒地であると言います)還座しました。
「宮田」に鎮祭の時代より大阪城守護社として豊臣氏、徳川氏の崇敬をうけてきといいます。
社地は櫻宮の名前の通り桜の美しい場所でありました。
往年は近くを流れる大川沿いには桜の木々が植えられており、周囲は田園地帯が広がる景勝地で、茶店などが立ち並び、境内はせまく感じられるほどに人々で賑わったと言うことです。
しかし明治18年の大洪水や、周囲の発展、昭和20年の空襲などよって、様変わりした時期もあったようですが、現在はまた桜宮公園一帯など整備されており、付近は花見のシーズンでは大勢で賑わう場所です。
明治5年郷社に列し、明治39年神饌幣帛料供進神社に指定されました。