由緒:
社伝によると神功皇后による三韓征伐の折、皇后の船団を守り勝利に導いた警固大神(神直毘神・大直毘神・八十禍津日神)を福崎、現在でいう福岡城の本丸周辺の地に祀ったのが始まりとされています。
福岡城が1601年(慶長6年)に増城された際、下警固村、現在の福岡市中央区天神周辺へ移され、その後の1608年(慶長13年)、福岡城主黒田長政によって今現在の場所に社殿が造営され、1916年(大正5年)には県社に列格しました。
当社の「警固」はかつて鴻臚館にあった役所「警固所」に由来し、社名だけでなく周辺の地名にもなっています。
当社の祭神である警固大神は神直毘神・大直毘神・八十禍津日神の三神からなります。
八十禍津日神は悪を示し過ちを良い方向へと導いてくれ、神直毘神・大直毘神は罪や穢れを祓い、足りないものを補って善を見出してくれます。
日々の穢れや病・禍といったものから警め、固めてくれる、それが警固神社です。
無病息災の御利益を求めるなら、是非足を運びたいところ。
また、24時間循環している天然ミネラルを豊富に含んだ足湯も人気のスポットとして知られています。
心身共にリラックスしたい、心も体も軽くしたい、そんな人にこそ知ってほしい神社です。