由緒:
佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社は祐徳さんの愛称で親しまれ、京都市伏見区の伏見稲荷大社、茨城県笠間市の笠間稲荷神社と共に日本三大稲荷のひとつに数えられています。石壁山を背にした総漆塗極彩色の壮麗な社殿は鎮西日光と称されるほど美しく、 年間に約300万人、初詣では例年三が日で65万人以上の人が参拝に訪れます。
御祭神に倉稲魂大神(うがのみたまのおおかみ)、大宮売大神(おおみやのめのおおかみ)、猿田彦大神(さるたひこのおおかみ)を祀り、創建は貞享4年(1687年)と伝えられています。この三神は稲荷大神と呼ばれ、衣食住、生活全般の守護神として崇敬されており、商売繁昌、家運繁栄、大漁満足、交通安全など様々なご神徳があると言われています。
祐徳稲荷神社は、藤原家のひとつの左大臣 花山院定好の娘、萬子媛(まんこひめ)が肥前鹿島藩初代藩主 鍋島 直朝に嫁ぐ際、父 花山院定好公から朝廷の勅願所である稲荷大神の神霊を神鏡に奉遷して授けられたことによりはじまります。
萬子媛は2人の子供に恵まれますが、残念ながら2人共早くに亡くなってしまいます。これを機に、貞享4年(1687年)62歳の頃に石壁山に祐徳院を建立し、熱心に神仏に仕えられ、宝永2年(1705年)齢80歳の頃に石壁山窟に寿蔵築いて入定します。諡の祐徳院殿瑞顔実麟大姉から「祐徳院」と呼ばれるようになります。
明治の神仏分離により社名を祐徳稲荷神社に改称し、寿蔵は境内社の石壁神社とされ、萬子媛に「萬媛命」の神号が贈られます。
境内摂末社に萬媛命(祐徳院殿)を祀る石壁神社、岩本大神を祀る岩本社、岩崎大神を祀る岩崎社、文丸命、朝清命を祀る若宮社があり、命婦大神を祀る命婦社は江戸時代の神社建築の特徴を残しており、佐賀県の県重要文化財に指定されています。祐徳博物館では祐徳稲荷神社御宝物や美術刀剣・陶器・絵画・鹿島錦などの郷土に関する考古、歴史、美術工芸資料を見ることができます。