由緒:
漁場の鎮守として近江出身の藤野四郎兵衛が1812年(文化9年)に網走川の河口に弁財天を祀る小祠を作ったのが当社の始まりとされています。
後の明治時代に入ってからは網走に移住してきた人々が村落を作り、藤野から弁財天社を譲り受けたことからこの辺りの鎮守社、氏神になりました。
それ故に網走神社という本来の名称の他に弁天様と呼ばれることもあります。
幾度が遷座が行われてきましたが、明治41年には今の場所に社殿を造営し、厳島神社の分霊を正式に奉迎しました。
この際、公認の神社になったものの無格社でもありましたが、その後大正12年に郷社へ、更に昭和4年には本殿以下の大造営を行い、昭和9年には県社へと昇格して行きました。
社格制度が廃止されてからは神社本庁所属神社となっており、昔からの厚い崇敬により今では北見国一宮として親しまれています。
主祭神には宗像三女神である市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命を祀っており、配神には天照大神を祀っています。
境内社には網走護国神社があり、そこでは網走支庁出身の護国の英霊である705柱が祀られています。また、市内7か所にあったものの戦後放置されていた七福神が昭和56年に合祀され、境内にはそちらも復元されています。