由緒:
当社はもともと、字宮内にあり、天照大神、若一王子、 八幡大神を祀る神社で、鯵生宮と称していました。
延暦4年、神崎川を改修する際に、天照大神を別府の味府神社に、若一王子を現在の処に、八幡大神を新在家の八幡宮に祀ります。
元禄5年の「摂州島下郡一津屋村寺社改帳」には「相殿 若一王子、牛頭天王、八幡大菩薩」との記載があります。
慶応3年に天照大神、素盞男命、八幡大神の三神を祀り、味生神社と称しました。
明治5年(1872年)村社に列しました。
境内には豊受皇大神社があり、豊受皇大神が祀られています。