由緒:
旧称は三輪明神。
旧鎮座地の地名は大和町宮地花池(現在の古宮公園の位置)であり、大和国から移り住んだ人々が創始したともされています。
他に、天火明命(尾張氏の祖神)の十世の孫である大美和都禰命(オオミヤツネノミコト)が祭神であったとする説もあり、
神紋は桜井市の大神神社と同じ三杉であります。
当社が尾張国一宮であるとする説があり、近くには同じく尾張国一宮とされる真清田神社があります。
大神神社の社伝では、大神神社と真清田神社を相殿として一宮としたと伝えております。
当地は熱田社の荘園(熱田庄)であり、毎年旧暦7月7日には熱田社に素麺と蓮を奉納しておりました。
当社が尾張国一宮とされることがあるのは、熱田社との関連であると考えられています。
戦国時代の浅井田宮丸の乱で社殿を焼失して以降荒廃してしまい、神宮寺である薬師寺の境内に遷座した。
明治3年、薬師寺に隣接する現在地に再建され、現在神職は常駐しておらず、市内の大神社の宮司が兼務している。