由緒:
創建年代は不明です。
元は大歳神を祭り農家の五穀豊年を祈る神社でしたが、1633年に領主永井信濃守尚政の支配地となって菅原道真公を合祀して、神社名は菅原神社としました。
境内末社に八幡宮、皇大神宮、稲荷宮が祀られています。
さらに氏神社と名称を変え、大正になって現在の名前になったということです。
1708年に地震・大風により大破し、翌年に再建した際、棟札に「金剛寺」と「住持圓了」の名が記されていたことから、神仏分離まで神宮寺であった金剛寺の僧が神社の管理にあたっていたといいます。
また1817年修復時の棟札もまた残されています。
明治5年村社に列し、同43年7月神饌幣帛供進社になりました。