由緒:
創建は不祥ですが、「延喜式」神名帳では越中国唯一の「名神大社」に選ばれております。
また日本書紀にも、天武天皇三年に奉幣を預かったと記されており、
おそらく創建から千三百年余り経っていると考えられております。
社伝によれば、養老年間に僧行基が二上山麓に建てた養老寺に、二上権現と称して祀ったのが二上神の鎮座の始まりといわれ、
その後、二度にわたる兵火で焼失しますが、慶長十五年加賀藩主・前田利家公により復興致します。
明治四年には、越中国で最も格式高い「国幣中社」に列せられます。
明治八年、高岡城本丸跡の現在地に遷座され高岡大火の折に類焼してしまいますが、明治三十五年復興しました。
遷座よりすでに百三十年以上がたち、越中国一宮、名神大社の格式を今も守り続けております。