由緒:
創建は大宝元年とされ、立山両権現の霊示を受けて文武天皇の勅命により開山されたのが霊峰立山であります。
その立山を神山と仰ぎ、立山雄山神(立山大宮)、剣岳の刀尾神(立山若宮)の両権現を奉斎する根本中宮をはじめ
壮大なる神社仏閣が建立されました。
岩峅寺にも社殿が建てられて、年中の諸祭礼行いました。
以来神仏習合の一大霊場として皇室をはじめ武将名門の崇敬を受け、元明天皇・後醍醐天皇の勅願所となりました。
また清和天皇の貞観五年・宇多天皇の寛平元年に叙位されました。
鎌倉幕府が文治元年に諸堂を造営しましたが、深く崇敬し保護造営されてきた霊場も、
天正十三年八月、豊臣秀吉により焼き払われ、以前の諸堂を殆ど失ってしまいます。
その後前田利家公が加賀藩主となり復興造営に保護を加えたものの、
明治維新の廃仏毀釈・神仏判然令により一大改新を加えられたため、布橋灌頂において重要な役割を果たした中宮寺ウバ堂は廃止されてしまい、天下三霊橋と誇っていた布橋も落ち、塔中諸坊も四散し芦峅寺は廃墟と化してしまいました。
ただ、根本中宮の境内とその講堂が雄山神社中宮祈願殿として現在も残り、
明治6年に県社、昭和15年に国幣小社に列せられました。
旧称・立山権現・雄山権現。