由緒:
創建は景行天皇11年頃とも云われており、社伝には御祭神がこの地に守り神を祀り、さらに自らの御魂をも鎮め祀られ、
出雲へ帰り給うたとも伝えられ、のちに延喜式内社、越中一宮として崇められてまいりました。
越中国の人々や朝廷の崇敬も厚く、天武天皇の頃には勅使を派遣されました。
光仁天皇の宝亀11年に従五位、文徳天皇の斉衝元年に従三位、また同年、祢宜、祝等に把笏を許されます。
貞観元年に正三位、さらにその後正一位を授かりました。
戦国時代には見る影もないほど荒廃してしまいましたが、前田藩主により漸次神威昂揚せられて、
明治6年に県社、大正12年に国幣小社に昇格されました。
大正13年には摂政の宮の御使が参向され、大正14年には皇后陛下より「神ながらの道」を奉献され、
昭和3年の御大典、昭和16年の宣戦また昭和20年の終戦には勅使の参向がありました。