由緒:
安房神社の創始は、神武天皇が初代の天皇として即位した皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられております。
神武天皇の御命令を受けられた天富命(下の宮御祭神)は、肥沃な土地を求められ、最初は阿波国(現徳島県)に上陸、
そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植えられ、開拓を進められました。
その後、天富命御一行は更にさらに肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り、
房総半島南端に上陸され、ここにも麻や穀を植えられました。
この時、天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、自身の先祖にあたる
天太玉命と天比理刀咩命をお祭りしたとされており、これが現在の安房神社の起源となっています。
養老元年(717年)になると、吾谷山の麓である現在の場所に安房神社が遷座され、
それに伴い天富命と天忍日命をお祭りする「下の宮」の社殿も併せて造営されました。
平安時代には、『延喜式』の「神名帳」に記載された式内社となり、その中でも特に霊験著しい名神大社として、
国家から手厚い祭祀を受けておりました。
またこの時代には、「安房国一之宮」としても、広く一般庶民からの崇敬も集めておりました。
現在においても、安房国の一之宮で有ることには変りありません。
明治時代になると、新たな社格制度が制定され、当社は「官幣大社」を賜り、昭和20年の太平洋戦争終結まで、
国家の管理下に置かれることとなっておりました。
しかし終戦時に、GHQによる「神道指令」によって、当社を含め、それまでの社格制度は全て廃止されます。
昭和21年には、戦後発足した神社本庁によって、神社の由緒や活動状況を考慮して、
特に優れたお宮に定められる「別表神社」の指定を受け、それ以降日本全国の多くの崇敬者と共に現在に至っております。