由緒:
当社が鎮座しているのは杉尾山と呼ばれる山で、1741年から1743年(寛保年間)は
杉尾大明神と称していましたが、1870年(明治3年)ごろ、今の八倉比売神社に改められました。
その名残か今でも現地の人からは杉尾さんと呼び慕われています。
当社は阿波国一宮、天石門別八倉比売神社の論社の1つでありますが、創建は不詳とされています。
社伝によると天照大神の様子が記されているので、その歴史は相当長いと予想され、
1773年(安永2年)に書かれた文書にはこの時点で既に鎮座してから2150年とされており、
計算して行くとおおよそ紀元前378年ころからあるのではないかという説があります。
社殿の裏には五角形の磐座があり、これはかの邪馬台国、卑弥呼の墓であるとされています。
邪馬台国があった場所はどこなのか、様々な説がありますが、
墓があるだけでなく当社の祭神である天照大神は卑弥呼そのものとされることもあり、
そう考えると阿波国に邪馬台国があったというのもあながち間違いではないと言えるかもしれません。
他の神社と比べると祠や井戸を五角形にこだわって作られたものが多く、
普段他ではあまり見慣れない特殊な形も見どころです。