由緒:
かつては当社の近くに壱岐国府があったとされ、その「国府」が「興」に転じ、意味を成していると考えられています。
また、国府の蔵の鍵、「印鑰」を保管していたこともあり、印鑰神社と呼ばれていた時代もあります。
ただ、近年の研究によると式内名神大社である天手長男神社こそが当社であり、1676年(延宝4年)に式内社を調査した神道家橘三喜が興と與(与)を見誤ったとされています。
その際壱岐市内の天手長男神社が若宮社に比定され、それと同時に壱岐国一宮の称はその神社に移ってしまいましたが、その後も変わらず当社を一宮と呼ぶ通称が残りました。
天手長男神社と当社が同一視されることから由緒などはそちらも合わせて読み解いていきたいところです。
その他、後利益には武運長久、恋愛系縁結びなどがあります。
当社は1876年(明治9年)には村社に列し、そして明治40年には神饌幣帛料供進神社に指定されました。