由緒:
創建の年代は不詳でありますが、清和天皇の時代に従五位上の神階の記事が存在しています。
『延喜式』では小社に列格し、飛騨国の一宮とされました。
鎌倉時代には「水無大菩薩」と称し、社僧が奉仕いたしました。
近世には水無大明神・水無八幡宮と称しました。
戦国時代の戦乱で祭祀が途絶え、附近の寺が管理したが、元禄年間から吉田神道系の神職が奉仕するようになりました。
1773年(安永2年)の安永騒動(大原騒動)では、水無神社が農民の決起集会の場所となります。
その事により、神主4人が捕らえられ、磔にされてしまいました。
明治4年に国幣小社に列格いたしました。
明治7年から10年までは、島崎藤村の父で『夜明け前』の主人公・青山半蔵のモデルとなった島崎正樹が宮司を務めておりました。
1945年8月21日から同年9月19日までの間、熱田神宮の神体(天叢雲剣)が一時避難しておりました。