由緒:
創建は崇神天皇の時代とされ、元々は現在の古宮公園の場所に鎮座していたとされています。
養老2年、越前の修験僧によって白山の主峰・御前峰に奥宮が創建され、白山妙理大権現が奉祀されました。
平安時代中期になると、自然崇拝の山から修験者の山岳修行や、神仏習合思潮に彩られた修験の霊場へと変化していき、
白山には加賀・越前・美濃3国それぞれから山頂に至る登山道が開かれ、それぞれの道筋に社堂が次第に調えられていきました。
平安時代末期、加賀国禅定道筋の中心的存在であった当社は加賀国一宮とされ、一国の神社を代表とする立場から勧農を目的とした国衙祭祀を担うようになります。
白山本宮は平安時代中期から鎌倉時代を経て、室町時代前期に至る約500年間栄えました。
白山本宮は洪水や火災に度々遭って再建を重ね、文明12年の大火で全ての社寺が焼失してしまい、末社の三宮の現社地に遷座しました。
明治の神仏分離により、寺号を廃して『延喜式神名帳』に記載された社名である「白山比咩神社」に改称しました。
それまで、加賀・越前・美濃の馬場のそれぞれが白山信仰の中心地となっており、加賀は2番目であったが、
3社のうちで『延喜式神名帳』に記載されているのは加賀の当社のみであるということから、
当社が全国の白山神社の総本社とされ、越前・美濃はその下に位置する地方の白山神社のうちの一つということにされたようです。
越前・美濃の白山神社より勧請を受けた他の白山神社も、加賀の白山比咩神社の分霊社というように由諸を書き換え、
戦後は、越前平泉寺・美濃長滝の両白山神社もそれぞれ「白山神社の総本社」となっております。