由緒:
大宮(さいたま市大宮区)の氷川神社(主祭神:須佐之男命)を「男体社」とし、それに対し当社は「女体社」にあたります。
社伝では、崇神天皇の時代に出雲大社から勧請して創建されたと伝えられております。
『大日本地名辞書』では『延喜式神名帳』に記載されている式内社「武蔵国足立郡 多氣比賣神社」の論社としていますが、
多氣比賣神社は桶川市篠津の多氣比賣神社とする説が有力のようです。
江戸時代には、幕府より社領50石が寄進されました。
近世の文書や拝殿の額に「武蔵国一宮」と記されています。
これは大宮の氷川神社と当社、および中山神社(簸王子社)の三社を一体のものとして、
大宮の氷川神社が武蔵国一宮であることから当社もそれに含まれると解釈したものであります。
現在は、氷川神社とともに「全国一の宮会」に加盟しております。