由緒:
年末から3月末まで設置される、高さ11.2m、重さ600kgの日本一の大破魔矢、毎年の干支の描かれた縦3m、横5mの九州最大の大絵馬が人気を集めます。梅や桜の名所としても知られています。
明治8年(1875年) 10月18日に大分県の初代県令森下景端氏により慰霊顕彰のために大分県 大分市 大字牧 松栄山の現在の北側展望台付近に創建された招魂社が起源です。明治7年の佐賀の乱、同年に台湾出兵、明治維新の動乱の際の蛤御門の戦い、熊本神風連の乱、明治10年の西南の役、日清、日露の役、欧州大戦、満州事変、日中戦争、大東亜戦争などで戦没された4万4000余柱が祀られています。
昭和14年4月に大分縣護國神社に改称、昭和18年10月28日に現在の社殿の大造営が完成、昭和22年に社号を豊霊宮に改称、その後昭和27年9月に元の社号の大分縣護國神社に戻ります。
境内には満蒙開拓義勇軍碑、西南の役軍人墓地や招魂齋庭、言霊記念館、軍旗の碑、鎮魂の碑、九六式陸上攻撃機のプロペラなどがあります。